講演:父親からみた発達障害
今日は午後からコミュニティーホールへ
「父親からみた発達障害」というテーマの発達障害について考える講座を聞いてまいりました。
講師の方は、毎日新聞記者の野沢和弘氏で、野沢氏のご長男が自閉症でその父親としての視点と、新聞記者をしながら知的障害の当事者のための新聞「ステージ」の発行に携わるなどの活動や、千葉県で制定当時全国初と大きく取り上げられた「障害のある人もない人も共に暮らしやすい千葉県づくり条例」の研究会の座長を務められた方です。
世界(先進国)と日本を比べると、障害者福祉について大きな違いがあると述べられました。世界はすでに入所施設は減少し、解体に向かっている。北欧だけでなく、アメリカでも80年代に障害者が入所施設に入れられて過ごすのは人権侵害だから解体せよという「施設解体訴訟」が展開された中、日本では相変わらず入所施設を作り続けているとのことでした。
またご自身が自閉症の子どもとともに過ごした22年間について、本当に社会が変わってきたということをおっしゃられていました。合わせて福祉についても、日本の福祉は、昔は障害をもった子どもの親のためという感じだったが、それが海外に出かけ、海外で障害当事者がどんどんと語ったりする姿を見て、親から本人を中心にした福祉に変わってきたということをおっしゃられていました。
また、子どもの自閉症について、ご長男が生まれた当初、自閉症は、障害というよりも家族の育て方の問題という風潮だったので、当時子どもに障害があることを会社に伝えることができなかったそうでしたが、映画「レインマン」が日本で上映され、その映画の影響で、「わたしもレインマンだったの」というような様子をみて、レインマンのそういった解釈に対する批判などから、息子が自閉症であることをカミングアウトしたとのことでした。
その後、その子どもを治すために、超能力者からテープを買わされたりしてしまったこと、子どもが治るのならとの思いでどうしても買ってしまったことの話や、子どもが自閉症である上で、治療法を探し、医者などに話を聞いても、自閉症の説明はあっても治療については話がなく、親子で無人の惑星にいるような孤独感を味わっていたこと、その過程で、名古屋での運命の出会いで、治らないけど長い付き合いになりますといわれ、無人の惑星から一緒に歩んでもらえる人を見つけた喜びなどが、親としての苦しみの話がありました。
障害を持った子どもが生まれた場合、特に乳幼児期から学齢期までの家庭が危険で、父親はそういった現実から逃れようと仕事などで家に帰らなくなり、母親が孤立してしまい、家庭が崩壊し、子どもも施設に入れられてしまうような形になるそうで、特にこの時期、母親を孤立させず、また父親も逃がさないようにしなければいけないという話を聞き、確かに障害をもった子どもの家庭のマンガなどでも、父親が帰らなくなるというか家庭を見なくなることが描かれていたことを思い出しました。
最後に印象に残ったのは、差別などについて、ほぼ同じ属性の多くの方が、多ければ多いほどに、少ない側の人のことが分からなくなってしまうのではということでした。
「父親からみた発達障害」というテーマの発達障害について考える講座を聞いてまいりました。
講師の方は、毎日新聞記者の野沢和弘氏で、野沢氏のご長男が自閉症でその父親としての視点と、新聞記者をしながら知的障害の当事者のための新聞「ステージ」の発行に携わるなどの活動や、千葉県で制定当時全国初と大きく取り上げられた「障害のある人もない人も共に暮らしやすい千葉県づくり条例」の研究会の座長を務められた方です。
世界(先進国)と日本を比べると、障害者福祉について大きな違いがあると述べられました。世界はすでに入所施設は減少し、解体に向かっている。北欧だけでなく、アメリカでも80年代に障害者が入所施設に入れられて過ごすのは人権侵害だから解体せよという「施設解体訴訟」が展開された中、日本では相変わらず入所施設を作り続けているとのことでした。
またご自身が自閉症の子どもとともに過ごした22年間について、本当に社会が変わってきたということをおっしゃられていました。合わせて福祉についても、日本の福祉は、昔は障害をもった子どもの親のためという感じだったが、それが海外に出かけ、海外で障害当事者がどんどんと語ったりする姿を見て、親から本人を中心にした福祉に変わってきたということをおっしゃられていました。
また、子どもの自閉症について、ご長男が生まれた当初、自閉症は、障害というよりも家族の育て方の問題という風潮だったので、当時子どもに障害があることを会社に伝えることができなかったそうでしたが、映画「レインマン」が日本で上映され、その映画の影響で、「わたしもレインマンだったの」というような様子をみて、レインマンのそういった解釈に対する批判などから、息子が自閉症であることをカミングアウトしたとのことでした。
その後、その子どもを治すために、超能力者からテープを買わされたりしてしまったこと、子どもが治るのならとの思いでどうしても買ってしまったことの話や、子どもが自閉症である上で、治療法を探し、医者などに話を聞いても、自閉症の説明はあっても治療については話がなく、親子で無人の惑星にいるような孤独感を味わっていたこと、その過程で、名古屋での運命の出会いで、治らないけど長い付き合いになりますといわれ、無人の惑星から一緒に歩んでもらえる人を見つけた喜びなどが、親としての苦しみの話がありました。
障害を持った子どもが生まれた場合、特に乳幼児期から学齢期までの家庭が危険で、父親はそういった現実から逃れようと仕事などで家に帰らなくなり、母親が孤立してしまい、家庭が崩壊し、子どもも施設に入れられてしまうような形になるそうで、特にこの時期、母親を孤立させず、また父親も逃がさないようにしなければいけないという話を聞き、確かに障害をもった子どもの家庭のマンガなどでも、父親が帰らなくなるというか家庭を見なくなることが描かれていたことを思い出しました。
最後に印象に残ったのは、差別などについて、ほぼ同じ属性の多くの方が、多ければ多いほどに、少ない側の人のことが分からなくなってしまうのではということでした。
by ebiken-chigasaki
| 2008-11-01 21:14
| 視察・勉強