松下政経塾と私 その2 再会
法学部から弁護士、そして政治家ということを考えていた大学時代、結局遊んで過ごしたということと、実は刑法がまったく肌に合わなかったということで、3年生の冬に新聞記者から政治家へと考え直して、新聞社を受験します。
しかし、1留して挑むも、結果はいいところまで進むんですがダメで、新聞を行きたいことを分かって待ってくれた第一生命に入社します。
第一生命に入り、毎日仕事に終われる中、自分の夢をどうするのか悩んでいました。このまま働き続けるのか、仕事はハードだけれども、職場の人間関係にも恵まれ、自分の重いと違うというところ以外は不満はありませんでした。しかし、正直、第一生命で働きながらも新聞を受験しようかと思っていました。
松下政経塾と再会したのは、そんな風に悩んでいた会社員1年目の冬でした。
今でも覚えています。JR新宿駅の中央東口改札から小田急改札に向かって歩いているときでした。1枚のポスターが飛び込んできました。
白地に黒で「志あるもの来たれ」と書いてありました。
なんだー!!
と思ってよくみると、それは松下政経塾の塾生募集の広告ポスターでした。
これを見たとき、自分の脳裏に鮮明に高校時代に思ったことが蘇りました。
自分は高校生のとき、受験勉強をしながら、ここに行きたかったんだ!
そして、サラリーマン家庭の地元の名士でもない自分でも受験資格があるということが分かり、このポスターを見て、「ここだったんだ。ここを受けるんだ!」と思いました。
ただ、そういっても、「石の上にも3年」ということわざがあるように、3年間は働こうと決め、これを見てすぐ受験はせず、1年置いて3年目に受験することにしました。
2年目の終わり、松下政経塾に募集要項を取りに行きました。その募集要項に映っていたのは、自分が大学1年生のときに、府中の松屋で深夜バイトをしていたんですが、そのバイトの同僚でした。
大学入学後すぐに松屋(府中店)でバイトをしていました。そこの2週間後に入ってきたのが彼で、彼も政治家志望で、深夜バイトでお客が来ない時間一緒に語り合っていました。
「その彼もここにいる!!俺の道はここだったんだ!!」
そう思い、受験します。しかし、3年目で挑んだ受験は、第一次の書類審査であっさりと幕を閉じます・・・
エビケン公式HPは、こちら
しかし、1留して挑むも、結果はいいところまで進むんですがダメで、新聞を行きたいことを分かって待ってくれた第一生命に入社します。
第一生命に入り、毎日仕事に終われる中、自分の夢をどうするのか悩んでいました。このまま働き続けるのか、仕事はハードだけれども、職場の人間関係にも恵まれ、自分の重いと違うというところ以外は不満はありませんでした。しかし、正直、第一生命で働きながらも新聞を受験しようかと思っていました。
松下政経塾と再会したのは、そんな風に悩んでいた会社員1年目の冬でした。
今でも覚えています。JR新宿駅の中央東口改札から小田急改札に向かって歩いているときでした。1枚のポスターが飛び込んできました。
白地に黒で「志あるもの来たれ」と書いてありました。
なんだー!!
と思ってよくみると、それは松下政経塾の塾生募集の広告ポスターでした。
これを見たとき、自分の脳裏に鮮明に高校時代に思ったことが蘇りました。
自分は高校生のとき、受験勉強をしながら、ここに行きたかったんだ!
そして、サラリーマン家庭の地元の名士でもない自分でも受験資格があるということが分かり、このポスターを見て、「ここだったんだ。ここを受けるんだ!」と思いました。
ただ、そういっても、「石の上にも3年」ということわざがあるように、3年間は働こうと決め、これを見てすぐ受験はせず、1年置いて3年目に受験することにしました。
2年目の終わり、松下政経塾に募集要項を取りに行きました。その募集要項に映っていたのは、自分が大学1年生のときに、府中の松屋で深夜バイトをしていたんですが、そのバイトの同僚でした。
大学入学後すぐに松屋(府中店)でバイトをしていました。そこの2週間後に入ってきたのが彼で、彼も政治家志望で、深夜バイトでお客が来ない時間一緒に語り合っていました。
「その彼もここにいる!!俺の道はここだったんだ!!」
そう思い、受験します。しかし、3年目で挑んだ受験は、第一次の書類審査であっさりと幕を閉じます・・・
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by ebiken-chigasaki
| 2007-03-05 17:38
| 松下政経塾